スクラップドデイズ

カテゴリ:御伽草紙( 5 )

頭文字D

誰よりも高く、誰よりも速く。誰よりも強く。

人は他者と比べる事によって自己を確立する生き物である。
故にそれは人が知性を持った瞬間からの飽く無い思いなのだろう。
本能と云っても良いのかもしれない。

ただ、スローライフ、ゆとり教育と謳われて久しい現在、
この本能を生かし続ける事は非常に困難になっている。
人によっては下らぬと一笑に付するだろう。

しかし、実際問題この世の中は実力が全てなのである。
弱者は強者に支配、搾取される。
それは自然界では当たり前の事。
幸か不幸か人間には天敵らしい天敵が存在しなかったために
急激に種を増やし、他の種を根絶やしにすることで生活圏を拡大していけた。

良くも悪くもこの世は平和なのだ。
平和な時には生物の本能は余計な存在となる。
過剰な競争は諍いを生み、戦争を生む。
雄は必ずしも雄である必要はないし、逆もまた然り。
能力を特化させずとも暮す事が出来るのだから。

それでも、争いが決して消えないのは生物としての本能なのだろう。
その本能を抑える為の手段の一つとしてスポーツや競技が
存在するのだろう。

人は自分に興味の無い事には拒絶的や敵対的になる事がある。
本能に関わる感情を嫌悪してしまう。

だからといって、その事が間違っているとは一概に言う事は出来ない。
本能では誰よりも優位に立ちたいと思っているし、
その世界に身を置く事でしかわからない世界や思想というのが
存在するのも確かなのだから。

人が決めた決まりに本能がいう事を聞かねばならないのは
人間社会では当たり前の事。
それでも時として人はその社会性さえも棄ててしまう。
哀しいけれど、それが人であり、生き物たる証拠なのだろう。
 
頭文字D THE MOVIE
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by karmanrain | 2005-09-20 00:29 | 御伽草紙

鋼の錬金術師

「人は何かの代償なしに何かを得ることができない。
これが錬金術における等価交換の原則だ。
その頃、僕らはそれが世界の法則だと信じていた」

得るために払う代償。
払った代わりに得るもの。

ただし、それは同等ではない。

コンビニエンスストアとスーパーで同じ商品を買っても
支払う金額が違うように、同じ目的であっても
その人が払う対価と云うのは人によって違うのだろう。
余りにも大きすぎる代償を支払わなければならない一方で
何も無かったかのように手に入れてしまう現実。

しかし、それは同じ目的に限った事であって、
違う目的になるとそれは同じ結果とはならない。
それは個人の資質であり、志向の向き不向きなのだろう。

一見、陰陽の思想やバランスから外れているように見えても
全て同じ事象を色々な言葉で表現しているに過ぎない。


錬金術と云うのは科学が生まれる以前のパラダイムである。
文字通り、全てを金に換える手段を模索する事をを目的として発生した
「夢のような」学問だが、その過程に於いて発見された数多くの事柄が
科学に少なからず影響を与えている事も事実。
そもそも、夢想だと感じているのは現在のパラダイムが科学という
事なのであってそれがシフトする以前は錬金術こそが世の理だったのだろう。

現在を支えている科学がパラダイムシフトした時、
世界はどのように変貌してゆくのだろう。
科学にある程度の限界が見え始めている今、
結局万物が金になりえない事を悟った錬金術の様に
実はその時代が到来するのは案外近いのかもしれない。

そうなったとしても、等価交換の原則は生き続けるのだろう。
この宇宙が存在している限り。

そして人は、そんな大それた事よりも、目の前の現実を生きる事の方が
大切で、大変なのだ。
 
劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者
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by karmanrain | 2005-09-03 00:43 | 御伽草紙

CASSHERN

幸せは平等には訪れない。
自分が幸せを掴むたび、他の誰かが不幸になる。
不幸は憎しみを呼び、争いを呼ぶ。
憎しみからは憎しみしか、争いからは争いしか生まない。

敵対するものを認め、赦す事はとても難しいこと。
立場は違えど、同じ正義を語るならば尚更。
均衡した力を持っているならば尚更。
それでも自分の掲げる正義を貫くのか、
相手の言葉に耳を傾けるのか。

正義・悪とは人間のエゴでそれが多数であるか、少数であるか
只それだけのことで、正義を語る本人にしても
何が正しいのかなど解っていない事が多いのだろう。
自分を守るため、人を護るため。それは正しい事なのだろうか。
その為には他人を傷つけたとしても、それは正義なのか。

抱えるものが多い程、護るものが多い程。
目指すものが高い場所にある程。
正義という言葉は力を増すが、説得力は失っていくのかもしれない。
その時は自分だけを信じて突き進むしかないのだろう。

それが、どのような結果になろうとも。

どちらにせよ、時間が経てば経つほど、困難になっていく。
ならば、はじめから袂を分けなければ良いのだろうが、
人である以上、無理なのかもしれない。
でも、もし、そうだとしても、諦めてはいけないのだと思う。


諦めた先には悲しい結末しか待っていない。
 
CASSHERN
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by karmanrain | 2005-06-12 02:24 | 御伽草紙

下弦の月 Last quarter

リーインカネーション。
転生する時、人のそれまでの記憶は消え去ってしまう。
というより、綺麗に忘れてしまう。

でも、稀にその記憶を思い出したり、忘れずにいる人がいる。

今、空に輝く月。
その月と全く同じものを見ることが出来るのは19年に一度。

もし、あなたが生まれる前に生まれ変わっても一緒に居たいと、
誓った相手がいたら。
転生して前世の記憶を忘れて生きていたある日、そう誓った相手が現れたら。
その相手が、カルマから逃げ出してしまったが故に転生できないとしたら。
そして前世の記憶を思い出したなら。

今の生を送るか、前世の約束を果たすか、
どちらかを選ばなければいけないとしたなら。

この映画で出された一人の一つの答え。
それが最良とは思わない。
でも、人というものはそういうものなのかもしれない。

下弦の月 Last quarter
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by karmanrain | 2005-04-21 01:38 | 御伽草紙

constantine

此の岸と彼の岸。
彼の岸には天国、地獄があるのかもしれない。
そこまでは大半の宗教と呼ばれるものの共通の考え。
寧ろ、共通のなのはこれくらいなのかもしれないが。

この映画はキリスト教が根底だから、
悪魔が地獄に、天使が天国にいる。
善と悪の戦いと言い換えても良いのかもしれない。

日本では神は神であり、善や悪といったものは存在しない。
善だの悪だのは人間が勝手に作り上げたモラルや
罪の意識が作り出したもので、そんなものに神は
左右されない。
そして、神は一つではなく、八百万と言われるくらい
存在している。

それでは、自分が信じる神とは何なのだろう。
信仰とするもの、教わるべきは何なのだろう。
何を護る為に戦わなければいけないのか。
何が忘れてはいけない事なのだろう。

そんな事に改めて気付いて、自分に問うてみる。
 
その答えを自分なりに確かめていくのが、
生きていくということなのかもしれない。
 
constantine
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by karmanrain | 2005-04-07 00:49 | 御伽草紙