スクラップドデイズ

カテゴリ:日々断片( 7 )

Get 2 know thine.

たとえば、「汝自身を知れ」という言葉。
自分の限界を知りなさいというより、
もっと自分自身の可能性を信じなさい、
そんな意味なのかもしれないな、と思うのです。

自分のことは知っているようで、一番よくわからないものだし、
肉体的には限界というものは存在すると思うのですが、
一方で、考えや思い、頭で考えることには限界は無いのでは?
もっともっと、自分を見つめたり、知る必要があるような気がします。

宇宙というのは殆ど無限に広がっているもの。
そして、身体の中にも同じ宇宙があるという考えがあるのだそうです。
そう考えると自分の「中」というものには、きっとそういう可能性が
あるのかもしれません。
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by karmanrain | 2005-03-12 22:45 | 日々断片

バランシング

普段は小さく左右に触れながらも両方の均衡が
吊り合って保っていられるけれど、ほんの些細なことで
このバランスは崩れ、直ぐに大きく振れてしまう。

いつでも考えていることで、
いつでも考えていないこと。

影響を受けて直ぐに変わったり、揺らいでしまう事に対して
以前ほど疎ましく思わなくなりました。
水は色んなものによって直ぐに染まってしまったり、
汚れてしまうけれど、時間をかけて流れているうちに
元の綺麗な水に戻るように。

そんな綺麗なものじゃないですけど、これからは少しくらい
そういう風に考えていこうかなと思っています。
出来得る限り、ニュートラルに保って。

ただ、黒く塗った漆黒のキャンバス、というのにも惹かれますけど。
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by karmanrain | 2005-03-05 00:48 | 日々断片

forget me not

忘れたい事、忘れたくない事。
忘れたい事はいつまでもグジグジと忘れられないくせに
ずっと思い留めておこうと思っていた事のほうが
記憶が薄れ易い気がします。

思い出の風化なのか、美化なのか。
それとも、ただの忘却なのか。

ただ、忘れるといっても人の脳というのは一度見たものは決して
忘れない器官なのだそうです。
それを繋ぐシナプスや脳梁、その中を流れる血液や電気信号、
そういったものの相互干渉によって
人の記憶というものは作用しているらしいとの事。
誰も見たことはありませんし、本当にそうなのかは分かりませんけど。

忘れたい事を何年もかけて少しづつ薄れさせていく一方で
忘れたくない事をほんの短い時間で分からないところへ
閉まってしまう。
人は忘れる、ではなく奥底へと閉まってしまう。
そして隔離してしまう。神経を切断して。

忘却は人の優れている最たる点だというけれど、
それと同時に人の劣る最たる点と言えるのかも知れません。
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by karmanrain | 2005-02-26 23:56 | 日々断片

王様の耳は・・・

あのお話は最後は全ての人の知れるところとなったけれど、
誰かに、というわけでは無しにさらけ出す場所というのは
大切だと思います。

そうする事でバランスが保てるのなら、
それはその人にとって、井戸の様に大切で、必要なものなのでしょう。
時には、実際に会う人より。恋人よりも。

秘密、をさらけ出す必要はありませんが、
どこかに隠して閉まっておく場所というのは必要。

このポータルも、そういう場所のひとつに成り得れば、
それだけで良い気がします。

広い電脳の世界の片隅にそういう居場所が
ひっそりと存在しているなんて、感傷主義ではありませんが、
素敵な事でしょう。

痲酔さんの狙いとは若干ずれているのかも知れませんけど。

最近は、そういう風に思ったりしています。
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by karmanrain | 2005-02-15 01:00 | 日々断片

できること、できないこと、すること

人間それぞれ生まれ持った器量があるから
どんなに努力したところで限界以上の事なぞ成し遂げようが無い

器量に見合わぬ何がしかを実現させたいと思うのならば
身銭を切るだけが能でもないだろう

十年かけて編み上げられた技能を本当に修得しようとするのなら
やはり十年掛かるのだ
しかし、そんな時間が無いというのなら
利用できるものは利用して先人の済ませてくれた下ごしらえを踏み台にして
切り詰められるところはズルをする

要領よくやらなければ、人の一生なんか短いものだ


とあるマンガの一説。
全ての芸術は模倣より始まるという言葉があるように、
熟練の技を自分のものにするという事は必要なことなのでしょう。
模倣をパクリと勘違いする方も多いでしょうが、それは全く別のお話ですし。
真面目に生きれば馬鹿をみる、という低次元の話ではなく、
目的への思い、余り良い聞こえがしませんが執念や貪欲さというのは
必要な感情であり、良いことなのだと思います。

模倣しすぎて自分の道を誤らなければ、それで良いと思います。
過ぎたるは及ばざるが如し、です。
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by karmanrain | 2005-02-06 16:12 | 日々断片

幸せの種

それは、しあわせという花の種といった方が適切な表現かもしれません。
花を咲かせるには、ポットに土を入れて、ひなたに出して、水をあげて、芽を出して。
寒かったら部屋に入れて、肥料もあげて、、、そうする事で花を咲かせる事が出来ます。

しあわせも、きっとそういう事なのでしょう。

願う事は必要。でも、願ってばかりいても、しあわせにはなれない。
自分の心に肥料をあげて、水をあげて、お日様に当てて、、、。
枯れない様に、でも余り手をかけすぎると逆に枯れてしまうから適度に接して。
アンテナを張って、自分の動きに敏感になってみる。

花、という形ならば、分かりやすいかもしれませんが、
それが花の咲かない種類の植物(しあわせ)であれば、ちょっと難しいかもしれません。

人というのは辛い事は敏感に感じる一方で、心地よい事はそれほど感じる事は出来ない生き物。
だから、気付いていないだけで、本当は充分しあわせ、なのかも知れません。
 
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by karmanrain | 2005-02-04 00:31 | 日々断片

worlds end

世界の中心で愛を叫ぶ。。。とか。

そう思えたなら、自分にとってこの世はもっと過ごしやすくなるに違いない。
でも、その分だけ、傲慢な人間になっていくに違いない。

そもそも、愛という事が何なのか、さっぱり分からぬ身としては
縁の無い話なのですけどね。

生と死を使った恋愛のシナリオは嫌いです。(特にどちらか片方が死ぬものは)
死に別れた相手のことは綺麗な思い出として残るし、完結してしまうから。
その思い出は忘れる事も、褪せる事もない。
生と死、対極にありながら同じように語られる事の多い言葉。
常に二律背反される考え。


それなら性と死の方が余程好感が持てるテーマです。

誤魔化し、という事ではなく、あざとい方が、良いものと言うものもあるのでしょう。きっと。
 
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by karmanrain | 2005-01-25 22:12 | 日々断片