スクラップドデイズ

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泳げないペンギン

一人では生きることの出来ない相手を求め、孤独に打ちひしがれる悲しみも、
一人で生きる事しか出来ない、人と関わる事に絶望したものから見ると
贅沢な悩みだと思えてしまう。

一人で生きる事が出来るのではなく、一人で居る事しか出来ない人間という
ものも居るのと同じように、人と関係しなければ生きていけない人も居るのでしょう。
一人では生きることが出来ない人。
一人でしか生きることが出来ない人。

どちらも好きでそうしていたり、そうなっていたりするわけでない。

それは、さかなが大空を自由に飛べないように、
鳥が大海原を自在に泳げないのと同じなのだと思う。
でも、中にはトビウオやペンギンのようなのも居たりするので、
それは絶対的なことではないのでしょうけど。

ある程度は歩み寄れるのかもしれませんが、ほんとうにある程度であって、
わかりあうことはできないのでしょう。
そして、わかりあう必要はないのかもしれません。
相手の気持ちに立つことは出来ても、
相手そのものになることは出来ないのですから。
 
でも、その分かり合おうとする思いこそが大切なものの様な気がします。
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by karmanrain | 2005-02-27 00:07 | 恋哀依存

forget me not

忘れたい事、忘れたくない事。
忘れたい事はいつまでもグジグジと忘れられないくせに
ずっと思い留めておこうと思っていた事のほうが
記憶が薄れ易い気がします。

思い出の風化なのか、美化なのか。
それとも、ただの忘却なのか。

ただ、忘れるといっても人の脳というのは一度見たものは決して
忘れない器官なのだそうです。
それを繋ぐシナプスや脳梁、その中を流れる血液や電気信号、
そういったものの相互干渉によって
人の記憶というものは作用しているらしいとの事。
誰も見たことはありませんし、本当にそうなのかは分かりませんけど。

忘れたい事を何年もかけて少しづつ薄れさせていく一方で
忘れたくない事をほんの短い時間で分からないところへ
閉まってしまう。
人は忘れる、ではなく奥底へと閉まってしまう。
そして隔離してしまう。神経を切断して。

忘却は人の優れている最たる点だというけれど、
それと同時に人の劣る最たる点と言えるのかも知れません。
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by karmanrain | 2005-02-26 23:56 | 日々断片

伝えるもの、伝わらないもの

いつも一言多く、一言以上が足りない。
その事に後で気がついても、一度放ってしまった言葉は覆す事なぞ出来ない。

自分の気持ちを吐露するのと、人に自分の考えを伝えることは別だ。
その事に後で気がついても、土足で上がった相手の心は踏みにじられた後。
踏みにじられ、言葉で刻まれた心は閉じてしまった後。

好意に甘えるのと相手に頼るのは別のもの。
甘えているつもりがいつの間にか頼ってしまっている事に気付く。
その事に気がつくのは、いつも一人になってから。

足りない言葉を補おうとしても、適当な言葉が浮かぶ訳も無く、
考えを伝えようにも、言葉が足りず、そして言葉を態度で代用できるはずもなく、
そのために好意に甘えるつもりが頼ってしまっている。
 
あなたへ何を伝えるべきか。
 
未だによくわからない。
 
来る事の無い、いつか。
 
容赦なく訪れる朝。
 
 
そして、もっと遠くなる。
少しづつ、でも確実に。
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by karmanrain | 2005-02-19 21:58 | 宵闇迷路

王様の耳は・・・

あのお話は最後は全ての人の知れるところとなったけれど、
誰かに、というわけでは無しにさらけ出す場所というのは
大切だと思います。

そうする事でバランスが保てるのなら、
それはその人にとって、井戸の様に大切で、必要なものなのでしょう。
時には、実際に会う人より。恋人よりも。

秘密、をさらけ出す必要はありませんが、
どこかに隠して閉まっておく場所というのは必要。

このポータルも、そういう場所のひとつに成り得れば、
それだけで良い気がします。

広い電脳の世界の片隅にそういう居場所が
ひっそりと存在しているなんて、感傷主義ではありませんが、
素敵な事でしょう。

痲酔さんの狙いとは若干ずれているのかも知れませんけど。

最近は、そういう風に思ったりしています。
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by karmanrain | 2005-02-15 01:00 | 日々断片

spirit which is present in words

万物には魂がある

と言うことばは当たらずも遠くはないことばなのでしょう。

言霊を英訳して翻訳すると「言葉の中にある精神」となるようです。
これが先のことばを良く表している気がします。

もともと「ことば」というものは「言霊」であり、
「呪(まじない)」なのだそうです。

乱暴に言ってしまうと、ことばと言うのは
「言葉の中にある精神」(言葉に宿る精神)であり、
それを用いて対象となるものに「名前をつける」、「呼ぶ」
ことでその名前に影響する力があるのではないかと。
例えばもともとはただの石でも、それに名前をつけて
崇拝すれば、その石は神格を備える。そういう事なのかもしれません。

もともと、言葉というのは詞で儀式に使われてきたのですから。

悪口で人が傷付くというのもそういうところからかもしれません。
きっと、そのことばで自分の大切なものに傷が付くから。
言った本人にも、言われた相手にも。

悪意のない悪口というのは存在しない。
だって悪口ですから。

相手を傷つけるけど、本当は自分も同じくらい、ひょっとしたらそれ以上に傷付くんだよ。
皆そのことを忘れているだけ。
 
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by karmanrain | 2005-02-10 00:56 | 宵闇迷路

できること、できないこと、すること

人間それぞれ生まれ持った器量があるから
どんなに努力したところで限界以上の事なぞ成し遂げようが無い

器量に見合わぬ何がしかを実現させたいと思うのならば
身銭を切るだけが能でもないだろう

十年かけて編み上げられた技能を本当に修得しようとするのなら
やはり十年掛かるのだ
しかし、そんな時間が無いというのなら
利用できるものは利用して先人の済ませてくれた下ごしらえを踏み台にして
切り詰められるところはズルをする

要領よくやらなければ、人の一生なんか短いものだ


とあるマンガの一説。
全ての芸術は模倣より始まるという言葉があるように、
熟練の技を自分のものにするという事は必要なことなのでしょう。
模倣をパクリと勘違いする方も多いでしょうが、それは全く別のお話ですし。
真面目に生きれば馬鹿をみる、という低次元の話ではなく、
目的への思い、余り良い聞こえがしませんが執念や貪欲さというのは
必要な感情であり、良いことなのだと思います。

模倣しすぎて自分の道を誤らなければ、それで良いと思います。
過ぎたるは及ばざるが如し、です。
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by karmanrain | 2005-02-06 16:12 | 日々断片

幸せの種

それは、しあわせという花の種といった方が適切な表現かもしれません。
花を咲かせるには、ポットに土を入れて、ひなたに出して、水をあげて、芽を出して。
寒かったら部屋に入れて、肥料もあげて、、、そうする事で花を咲かせる事が出来ます。

しあわせも、きっとそういう事なのでしょう。

願う事は必要。でも、願ってばかりいても、しあわせにはなれない。
自分の心に肥料をあげて、水をあげて、お日様に当てて、、、。
枯れない様に、でも余り手をかけすぎると逆に枯れてしまうから適度に接して。
アンテナを張って、自分の動きに敏感になってみる。

花、という形ならば、分かりやすいかもしれませんが、
それが花の咲かない種類の植物(しあわせ)であれば、ちょっと難しいかもしれません。

人というのは辛い事は敏感に感じる一方で、心地よい事はそれほど感じる事は出来ない生き物。
だから、気付いていないだけで、本当は充分しあわせ、なのかも知れません。
 
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by karmanrain | 2005-02-04 00:31 | 日々断片